【親孝行とは、親から自立すること!】保存用
〜成人の日に想ったこと〜
■昭和21年3月28日生まれの私は、50年前の成人の日は、20歳と4日目に雪印の牛乳販売店として独立するために、300万円(現在では3000万円相当)を用意するために、心の余裕がなくて成人式は欠席しました!
■18歳で高校を卒業した日に、父から、自分ひとりで生きることを良い意味、強制されたので、18歳からは強烈に自立を意識した!
■20歳で自立・独立するチャンスを頂いた私は、親戚から300万円をお借りして独立した!(この300万円は、5年間かけて返済させて頂きました!)
■30歳の頃に、それまでは瓶入りの牛乳を一軒一軒配達していたが、紙パック牛乳に変わり、スーパーマーケットの目玉商品になり、牛乳配達には未来がないと思い、牛乳販売店の権利を売って札幌市中央区でジャズ喫茶店【NIKA】を開店させた!
■ジャズ喫茶は15歳頃から15年間も夢をみて準備をしていたが、4年間の経営で2000万円ほど使い、資金がなくなって閉店したが、実に楽しい4年間でした!(日本の多くのジャズメンに演奏してもらった)
■その後、有限会社を500万円用意して経営したり、情報発信するビデオ販売会社を2000万円用意して経営したが、資本金がなくなってクローズした。
■48歳の時に、歌手加藤登紀子さんからのお誘いで、東京の表参道駅付近で、ロシアレストラン【テアトロ・スンガリー】の店長を経験、この時に、徹底的にサービス業を学んだ!(成功法則の基本はサービス業を学ぶこと)
■50歳で、私の食事道の師匠である岩崎輝明社長(故人)のご縁で株式会社玄米酵素の社長秘書として入社、徹底的に食事と健康、食事と心の関係を学びました。最後の10年間では2000回の講師を務め、2000人以上のガン患者さんの個人相談を受けた!(この時代に、新商品開発、新商売の企画・準備を任された経験が、今の私を作った)
※この玄米酵素時代に【1ヶ月で血液をキレイにする健康法】を発表し、63歳で定年して【球体健康法】を発表した!
※この玄米酵素時代に、児童養護施設を退所した女の子と出会い、47都道府県に30000人以上の子ども達がいることを知って衝撃を受けて、定年後の生き方が決まった!
■昨日は成人の日でしたが、改めて自分自身の成人の日を思い出して、親孝行について考えてみたが、親孝行は【自立】だと思った!