【父親の武さんの命日に想う】
〜大正3年4月9日札幌生まれの父〜
父親の武さんは11人兄弟姉妹の長男として、現在の札幌市東区伏木で農家の長男として生まれました!
※父親の武さんが38歳の時に脳梗塞で倒れて農家の仕事ができなくなり、当時長男の私は小学生高学年でしたが、3町歩の玉ねぎ農家の仕事が母親と私の仕事になりました!
※当時、農耕馬を一頭飼っていて、この農耕馬の世話が私の一番厳しい役割でした!
※畑仕事以外、農耕馬一頭と羊が一頭、鶏が30羽、輸出用カナリアが100羽のお世話が私の役割でした!
※学校に行く前に農耕馬にエサを与え、ウンチで汚れた体をブラッシングして、ウンチと小便で汚れた床掃除が一番厳しい仕事でした!
◉小学生高学年の時に父親が働けなくなって、365日早起きして学校に行く前、帰ってきてからは365日農耕馬の世話をした体験が、今の私の【朝起き】や【継続力】の基本を養いました!
父親は農家の長男として、充分働けない体でしたが、大変なアイデアマンでした!
❶現在では当たり前になっている水不足の時に使う【スプリンクラー】を北海道では一番最初に取り入れたのが父です!
❷現在も写真にありますが、約60年ほど前、私の小学生の頃に、柱が一本もない大きな倉庫(馬・羊・物置他)を設計して建てたが、新聞にものるほどの素晴らしい建物です!(スープカレー屋さんだったが・・今は違うお店に)
※しかしながら、父親は大変優しい人で、私が中学3年生の12月末に3町歩の畑が保証人になったばかりに人出に渡り、農家を止めることになり、同時に母とは離婚しました!
父親が3町歩の畑を人手に渡したことが父親の一番間違ったことだ、許せないとずっとずっと思っていたが、実は父親の最大の私達子ども達へのプレゼントは、3町歩の畑を『他人に捧げたこと』だった!!
❸離婚する時に父は母にアパートを一軒建てる慰謝料を払ったのは凄い人だと感じた!(当時慰謝料を払う人は多くはなかったから)
父親との確執があったが、丸山敏雄先生の【万人幸福の栞】との出会いと、ガユーナ・セアロ先生(日本人)から、父親への感謝ができて私の人生が180度好転しました!
■今日は23年前に亡くなった父親を忍び、感謝の一日にします!
★3人の私の子ども(1人は1歳7か月で事故死)は、父 武さんが育ててくれました(厳しさと優しさ一杯で育ててくれた)
★ 私は、家でご飯を子ども達と一緒に食べるのは、お正月や誕生日などのイベント日だけ、寝る為に帰る日々で、武さんが子ども達を愛情一杯で育ててくれた