【日本人が大切にしてきた伝統のウソ】オフイステイクオー著
〜知ってガッカリ!でも、意外な真相にびっくり〜
あの行事・習慣・文化のよもやの由来とは!
1章【みんなが信じている年中行事の大誤解】
12 初詣ー明治時代、鉄道会社の戦略によって生まれた!➡︎江戸時代は、正月は歳神様を家に迎える日のために外出はしなかった!
※1972年明治5年、日本で最初の鉄道が品川〜横浜間に開通して、『川崎大社』まで多くの人を元旦に参拝させる習慣を鉄道を通して作られていった!
15 除夜の鐘ー戦後のラジオ放送から一般的に!➡︎江戸時代は、新年の朝に鐘が鳴らされていた!
※NHKが紅白歌合戦終了後、一箇所の除夜の鐘が鳴らされたのが、昭和29年から。リレー中継されたのが昭和32年から。これが契機となり各地で除夜の鐘が広まった!
19 重箱のおせちー正月の定番料理となったのは戦後だって!?➡︎
23 恵方巻ー全国区の風物詩になったのは平成に入ってから➡︎
27七段飾りの雛人形ー高度成長期に巷に広がった➡︎
32 花見ーソメイヨシノを愛でるスタイルはいつから?➡︎
37 端午の節句ーもとは『男子の成長を祝う日』ではなかった!➡︎
40 鯉のぼりー鯉が泳ぐようになったのは20世紀以降➡︎
七五三ー戦後になって一大イベントと化した➡︎
2章【実は近年広まった冠婚葬祭のしきたり】
神前結婚式、角隠し、黒い喪服、告別式、葬式の祭壇、戒名、○○家累代の墓
3章【あの衣食住の習慣は意外や、最近生まれていた】
78 箸の正しい持ち方ー西洋化の流れの中で、初めて決められた➡︎明治時代に正しい箸の持ち方が広まった!
★82 白米ー『日本人の主食』となったのは炊飯器が流通してから!➡︎昔の庶民には白米は高級食だった!
※長年庶民が食べていたのは消化が悪いので玄米ではなく、糠や胚芽が残った分つきき米を食べていた!
※『ハレの日』には贅沢な白米も食膳にあがった!通常は一汁一菜が庶民の毎日だった!雑穀や分つき米に味噌汁に煮物か漬物での食事だった!
誰もが白米を毎日食べるようになったのは戦後から
江戸時代には水車で精米できる技術ができたが、庶民には白米は高嶺の花の食べ物だった
86 和服の訪問着ー大正時代に、三越が初めて発売した➡︎
97 女子学生の袴姿ー伝統衣装というより、体制を打破するスタイルだった!➡︎
102 正座ー『正しい座り方』として奨励した明治政府の思惑とは➡︎
106 時間規律ー明治以降の20年で、『時間厳守の国民』に生まれ変わった➡︎
4章【『昔から・・』は大間違い!家庭・家族のスタイル】
★116 男系重視の家族観ー明治政府は、なぜ国民に家父長制を強制したのか➡︎かって、家族とは『血縁者』ではなかった
※大名や公家は一夫多妻が普通だった!
※武士の慣習だった家父長制度を全国に強制したのは明治政府だった!
※明治政府は、天皇を頂点とするピラミッド型の社会体制を構築する必要があり、その末端組織が家族だった!
※戸主を中心とする家族に租税などの義務を負わせた!
121 夫婦同姓ーその歴史は70年ほどしかないって!?➡︎
129 良妻賢母ー高等女学校発足とともにできた新しい概念➡︎
132 母親による育児ー子育て=母親の役目とされたのは明治以降➡︎
136 専業主婦ー高度成長期まで、ほぼ存在しなかった➡︎
5章【宗教的習わしの多くはけっこう“新しい】
141 神仏分離、氏子制度、仏壇と神棚、
158 二拝二拍手一拝ー
6章【古来、伝統とされてきた日本文化のウソ】
★188 『君が代』ー日本の『君が代』の起源は、905年に成立した『古今和歌集』の7巻に掲載されている和歌にある!
※近年まではの『君が代』は流行歌のひとつでしかなかった!
※明治時代に『君が代』は国歌とみなされた!
※1869年頃、イギリス軍から、なぜ日本には外国のように国歌がないのかと言われ、『君が代』を国歌に決めて、作曲はフェントンに依頼した
※1980年に『君が代』の曲を日本人の作曲家林廣守に依頼して今の『君が代』が発表された
正式な国歌となかったのは平成です!
★192 日の丸ーもともとは皇室、天皇が祝賀で使うマークだった!
※『君が代』とともに正式に国旗となったのは1999年
※舟印として使用していたが、そのまま国旗へ!
196 万歳、大和魂、武士道(自己犠牲、帰属意識が実は低かった武士)、武道、相撲(最初に宮中で相撲を取ったのは実は女性だった)。
■ 上記は、オフイステイクオーが書かれた【日本人が大切にしてきた伝統のウソ】720円の本ですが、伝統に隠された多くの真実に驚きました