成功法則【5%の5%の仲間入り】への道!No.3,180の遺言

【1歳7ヶ月で突然亡くなった次男の命日に想う】

〜次男が命をかけて私や家族に残してくれたこと〜

次男の正敏は昭和49年12月13日の金曜日に生まれました。(13日の金曜日)

暑い暑い昭和51年7月28日に突然亡くなった次男の正敏!

当時は、朝は3時30分には起きて雪印の牛乳販売店を経営していて、更に札幌市中央区南3条西5丁目でジャズ喫茶店【NIKA】も夜の23 時まで経営していて、寝るのはいつも1時頃!(人生で一番寝る時間がなかった時期におきた)

正敏が生まれても、オムツ変えたり、お風呂に入れたり、正敏を抱っこした記憶がありません!

朝は元気だった正敏がお昼には亡くなっていた!

家の近くの公園でお姉ちゃんと長男と次男が遊んで帰る途中、お姉ちゃんと次男が後ろを見ないでバックしてきた車に二人が引かれ、裕美さんは軽傷だったが次男は亡くなった!(長男は別の道を歩いて帰っていたので助かった)

次男が亡くなった事実を受け入れられなかったが、一番心に大きな傷を受けた娘の心の傷を心配した私たち夫婦だった!

私は次男正敏が亡くなった事実から、一緒に遊べなかったこと、一緒に過ごせなかったこと、一切抱っこもしなかったことから、自責の念から死を考える2年間、私はうつ病になり、現在も2年間の記憶がありません。

自殺を考える私に気がついて一人にしなかった家族がいて、ある日、まだ2人の子どもがいた事に気がついて私は助かった!

・自殺を考えている時は、死にたいとの信号を!助けてほしいとの信号を出していたようです!

✳️次男正敏の死から私は、誰もが生まれてきたら、生まれてきた役割があり、生まれてきた役割が終わると死があると思った!

⭐️正敏の死から【一日一生の精神・心で生き切る】ことを決めて45年以上になります!

たった一度の人生だからこそ、【仕事もお金も健康も自由自在】になり、更に男性からも女性からも愛されて、更に更に親との確執、夫婦の確執、子どもとの確執が一切なく、更に更に更に、定年後は365日24時間を児童養護施設の子ども達にすべてを捧げされる毎日は、まるで天国のような毎日が実現しています!

次男の死から、生きること、生き切ることを考え、たった一度の人生の定年後の生き方を考え、たった一度の定年後の生き方を、お会いする人に、【生き甲斐の創造】をお伝えすることが、私の生き甲斐となっております‼️

親がいるのに、クリスマス🎄もお正月🎍も施設で迎えている約30,000人もの子どもたちに、食育支援や食糧生支援等々、様々な支援を24時間365日行動し続けることができる日々はまるで天国のような日々が実現した事実‼️